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NAFL日本語教師養成プログラム

実力診断テストの合格点は何点ですか。

実力診断テストの合格点は何点ですか。

25問の問題は、1問4点で、合計52点以上が合格点となります。

テストが不合格の場合、どうなりますか。

テストが不合格の場合、どうなりますか。

実力診断テストも記述式問題も、受講期間中であれば合格するまで何度も提出し直していただけます。

記述式問題の解答用紙はどこにありますか。

記述式問題の解答用紙はどこにありますか。

コースガイドの巻末にございます。必ず切り取ってお使いください。

時事問題や最新情報はどうやって勉強したらいいですか。

時事問題や最新情報はどうやって勉強したらいいですか。

時事問題は、検定試験の出題範囲でいえば、「社会・文化・地域」という区分に該当します。この区分からは、日本語教育に関連した、または、今後、影響を及ぼしそうな、現在進行中の出来事がよく出題されます。

対策としては、まずは、テキスト第1巻「日本語教育の現状」を一通り読んで、現状やキーワードを把握しましょう。また、日頃から、テレビや新聞やインターネットなどのニュースで、国の外国人政策などについて調べる習慣をつけ、最新の動向を把握しましょう。

そして、普段のニュースにも注意し、そうしたニュースが日本語教育業界に与える影響について考えながら読む習慣をつけましょう。

日本語教育に関係する情報は、テキスト1巻「日本語教育の現状」26ページから29ページに情報元が掲載されていますので、それぞれの機関のホームページなどで確認することができます。

よくある質問【テキスト1巻 日本語教育の現状】

日本語学習者数などの統計調査がたくさん載っていますが、こうした調査の最新版は、どうやって調べたらいいですか?

テキストの内容は、毎年更新しておりますので、テキスト発行時点の最新情報となります。
最新情報は、テキスト26ページから29ページでご紹介している各機関のホームページなどで確認していただくことができます。検定試験の問題は、数字を暗記さえしていれば解けるものではなく、背景や統計の傾向を理解していないと解けない問題も出題されますので、注意しましょう。

統計データの数字が覚えきれません。

テキストの数字を、細かく暗記する必要はありません。なぜなら、検定試験は主に選択式(選択肢の中から答えを一つ選ぶタイプ)の試験だからです。また、検定試験の問題は、数字を暗記さえしていれば解けるものではなく、背景や統計の傾向を理解していないと解けない問題も出題されます。ノートに、重要な数字や近年の変化、その背景をまとめるなどして、対策をしましょう。

母語と母国語の違いはなんですか? (p.14)

母語と母国語の違いは、文字通り「国」にあります。つまり、「国籍」がかかわってきます。
母語とは、子供が言葉を覚える際、最初に習得する言語を指します。
これに対して、母国語は、「ある国民全体が用いる言語」というときに使用される概念で、国民全体が用いる言語の共通性を強調します。日本では、「母語」も「母国語」も日本語である場合がほとんどですが、世界的に見てみると、「母語」が「母国語」ではない場合がとても多いのです。例えば、移民の多いアメリカなどでは、国籍がアメリカであっても英語を母語としない人が大勢いるわけです。

第二言語=外国語と考えてもいいのでしょうか。 (p.14)

第二外国語とは、一般的には母語(または第一言語)の次に習う言語のことを言います。大まかに言うとと「第二言語=外国語」と言えますが、厳密には違いがあります。日本人が日常的に英語を使って日本で生活しなければならない状況はほとんど考えられないので、日本の学校での英語教育は「外国語」に当たります。また、外国人のビジネスマンが日本語を一定期間勉強する場合も、日本語は「外国語」と見なされます。
しかし、これに対し、母語以外の言語で生活しなければならない場合の外国語は「第二言語」になります。例えば、日本に住んでいるアメリカ人が日本で就職し、日本語環境で仕事、生活する場合は、日本語を学ばなければなりません。その時に学習する日本語は「第二言語」となります。

よくある質問【テキスト2巻 日本語教授法Ⅰ】

「等時音節性」とはなんですか。(p.46)

中学、高校などの英語の時間には、一つの単語に複数の母音がある場合、この単語はこの母音にストレスがある、という内容のことを習ったかと思います。文の場合も同じで、文の中で重要な単語などにストレスが置かれます。次の例文を見てください。

 1.The boy who came yesterday was John.
 2.The boy who came today was John.

1の文には、The / boy / who / came / yes / ter / day / was / John / と9つの母音があります(cameのeは発音しません)。そして、boyとyesの間に母音が二つ、yesとJohnの間には母音が3つあります。また、2の文の場合、The / boy / who / came / to / day / was / John / と8つの母音があり、boyとdayの間には母音が3つ、dayとJohnの間には母音が一つしかありません。
1のboyとyes 、yesとJohnや、2のboyとday、dayとJohnはそれぞれ、間にある母音の数が違いますが、英語を母語とする人々には、同じ長さに感じられます。英語を母語とする人々には、間にいくつ母音があるかということは関係なく、ストレスとストレスの間は同じ長さだと感じるのです。
一方、日本人は、間にある母音の数が違いますから、長さも違うと感じます。それは日本語が母音一つ一つの長さは同じとする等時音節性の言語だからです。
言語によって、「同じ長さだ」と感じる基準が異なります。機械で正確に時間を測れば、実際の長さは違うのですが、その言語を母語とする人には「同じ」と感じられるのです。その「同じ」と感じるのを「等時性」と呼びます。

「サイレントウェイ」とはどんな教授法ですか。 (p.99)

サイレントウェイで使う代表的な教具はカラーチャートとロッドです。この二つを使った活動について例を、挙げながら説明いたします。
まずは、カラーチャートを使った発音や文字の指導です。学習はカラーチャートを使った発音練習と音声と文字の照合練習から始まります。カラーチャートでは同じ音は同じ色で書かれています。日本語では、まず、ひらがなの五十音表のカラーチャートが使われ、それぞれのひらがなは、通常、左右2色で書かれ、左が子音、右が母音を表示するようになっています。あ行の5字と「ん」は1色です。例えば、カ行なら、子音は「かきくけこ」ですべて同じなので、カ行の左側はすべて同じ色になります。ア段「あかさたな…」を見ると、今度は右側の母音を表している色はすべて同じです。(「あ」は母音なので1色ですが)教師はこのようなカラーチャートを使い、一つ一つのひらがなを指し示しながら、発音のモデルを示し、学習者に復唱させます。モデルは必要最低限(理想的には1回)にとどめ、できるだけ学習者に試行錯誤しながらでも言わせます。

次は、ロッドを使った語彙や文法の指導です。ロッドを使った指導法にはいくつかあります。

(1)ロッド自体の特徴を素材として言葉の練習をする方法
   例えば、赤、青、黒、白の4つの棒を使い、まずそれぞれを指して「棒」と言い、次に「赤い棒」「青い棒」……というように色を表す形容詞の指導や、ロッドを用いて「~を持ってください」「~を置いてください」「~を渡してください」などの表現を使った動詞の学習などです。

(2)ロッドを物や人に見立てて練習する方法 
   例えば、長いロッドで四角を作って「公園」とし、その中に「木」「ベンチ」「人」「犬」などに見立てたロッドを置き、「公園に木があります。」「ベンチの下に犬がいます。」などの表現を指導する方法などです。

(3)ロッドを使って語順や文法の練習をする方法 
   色の異なるロッド(棒)一つずつに、赤=「私」、青=「あなた」、黒=「学生」、白=「先生」、緑=「は」、黄=「です」の役を与え、それを学生に示す。次に、ロッドを赤緑黒黄の順に置き、一度だけ「私は学生です。」というモデルを教師が示す。そして、次に、赤緑白黄の順にロッドを置き、「私は先生です。」など、文法や語順を示していく方法などがあります。

いずれも、教師に頼る方法(モデルの模倣や暗記、復唱など)ではなく、学習者が自ら気付き、学んでいく能力に教師が働き掛けることによって行われる点に特徴があります。
<参考文献>
西口光一(1995)『日本語教授法を理解する本 歴史と理論編―解説と演習』 バベルプレス

「シラバス」「カリキュラム」「コース」はどういうものですか。また、それぞれどういう関係なのかを教えてください。 (pp.23-42)

まず「カリキュラム」から説明します。「カリキュラム・デザイン」とは、どんなことをどのような順番で、どのくらいの期間で、いつ、どうやって教えるか、を考えることです。従って、進度予定表に示されるような具体的なものを指します。

では、カリキュラムで挙げられている「何・どんなことを」というのは、どう決めるのでしょう? それが「シラバス・デザイン」であり、そのコースで学習すべき項目の一覧を考えることです。すると、まず「シラバス」を考え、次に「カリキュラム」を考える、この順番が納得できると思います。

そして、この過程(「シラバス・デザイン」→「カリキュラム・デザイン」)を含んだコース全体を「コース・デザイン」といいます。概念的に最も大きいのが「コース・デザイン」、次が「シラバス・デザイン」そして「カリキュラム・デザイン」ということになります。

「シラバス」とは何ですか。 (p.27)

教授項目(シラバス)は、日本語のコースを運営する際、考えなければならない重要なものです。このシラバスには構造的シラバス(あるいは構造シラバス)、場面シラバス、機能シラバスなどの種類があります。例えば構造的シラバスの「構造」は「構造言語学(あるいは、構造主義言語学)」(structural linguistics)から来ています。この構造言語学によると、言語はそれぞれの要素の組み合わせ方(すなわち構造)で成り立っており、この考え方を言語教育に応用したシラバスが、構造シラバスです。日本語の教科書で「これは山田さんの本です。」といった形の文から、徐々に「これは、山田さんの英語の本です。」「これは、山田さんが大切にしている英語の本です。」のように形を積み上げていくタイプのものがあります。これは「構造シラバス」にのっとった教科書と考えられます。最近の教科書には「場面シラバス」「機能シラバス」を取り入れたものも多く見られます。
この点については、次の書籍に、大まかな記述がありますので、参考になさってください。

<参考文献>
田中望(1988)『日本語教育の方法 - コースデザインの実際』 大修館書店

「わたり音」は「移行しながら作られる音」とありますが、どういう音ですか? (p.49)

子音を発音するときには、口の中のどこかで空気の流れを妨げて音を作ります。「わたり音」は空気の流れを妨げる所が一カ所ではなく、移動するのです。

「ワ」をゆっくり言ってみてください。最初は、唇の辺りで音がしますが、だんだん奥のほうへ移動していくのが感じられたでしょうか? 分かりにくければ、声を出さず、口の形を同じにして息を吸ってみてください。空気が当たって、冷たく感じる所が違うと思います。このように、複数の調音点を移動しながら発音する音を「わたり音」といいます。

「オーディオリンガル・アプローチ(AL)」と「コミュニカティブ・ランゲージ・ティーチング(CLT)」について教えてください。 (p.90)

オーディオリンガル・アプローチ(オーディーオリンガル・メソッド、以下AL)は、言語観は構造主義言語学、言語学習観は行動主義心理学を背景理論として戦後60年代まで特に盛んに行われた教授法です。構造主義言語学では、(1)言語は本来、音声であり、文字ではない(2)言語は構造体である(3)音素、形態素、語などの言語要素はルールに基づいて組み合わされており、そこには構造あるいは型(pattern)が見られる、というものが重要な考え方であるため、ALでは音声・文型練習が強調されています。また、行動主義心理学では、人間を含めたすべての動物の行動は、外界の刺激に対する強化によって習慣化された反応の傾向性である、と考えられているため、ALではパターン・プラクティスやミム・メム練習に見られるようなドリルを中心とした指導がなされます。このことから、ALはドリルを中心として文型を理解していく、または口頭練習を優先して話すことが優先される、という記述がよく成されていますが、どちらもALの核となる重要な点と言えます。 これに対し、コミュニケーション中心の外国語教育のことをコミュニカティブ・ランゲージ・ティーチング(CLT)といいます。CLTは、コミュニケーション能力の養成という教育目標と、コミュニケーション的言語観というものを基礎とする外国語教育の革新運動で、実体としては二つの異なったアプローチが存在します。一つは教育内容を改訂することにより教育を改善していこうというアプローチ(内容的アプローチ)、もう一つは教育方法を革新することにより目標言語の技能や運用能力を養成していこうというアプローチ(方法的アプローチ)で、両者を合わせてコミュニカティブ・アプローチといいます。

言語の文法的側面よりも機能的側面(表現意図)の習得を重視し、言語運用能力の伸長を促進して、「通じる外国語」の習得を図るというのが、核となる考え方です。

以下、それぞれの練習の特徴を挙げます。

◆オーディオリンガル・アプローチの練習の特徴
1)ミニマム練習
2)パターン練習
3)コントロールされた会話の練習
4)口頭練習重視
5)誤りの訂正を重視
6)形の正確さを重視

◆コミュニカティブ・アプローチの練習の特徴
1)インフォメーションギャップ/フィードバックなど
2)問題解決型の活動
3)談話練習
4)誤りの訂正は重視しない
5)流暢さ重視

<参考文献>
西口光一(1995)『日本語教授法を理解する本 歴史と理論編―解説と演習』 バベルプレス

よくある質問【テキスト3巻 日本語教授法Ⅱ】

「日本は土地が狭いのに、人口が多い」は間違いですか。 (p.65)

「日本は土地が狭いのに、人口が多い」が非文になる理由として、テキストでは、「後件は前件に関係のあることの逆接でなければならない」とあります。

具体的には、前件は「土地が狭い」こと、後件は「人口が少ない」ことであり、両者が「関係あること」という要件を満たしていないと解釈されるわけです。

例えば、「日本は土地が狭いのに、有効利用されていない」であれば、文として成立します。これは、前件の「土地が狭い」と、後件の「(土地が)有効活用されていない」が、相互に関係あるものと解釈されるからです。

ただし、これが完全な非文であるとは言いにくい点があるのも確かです。ただ日本の紹介として言う場合には意外・非難・失望などの感情が含まれないため、「のに」を使うと、どこか据りの悪い文となりますが、話し手が日本に行って、土地が狭い割に人口が多かったことに非常に驚いたということを表現する場合ならば、この文は適切な文と判断しても良いかと思われます。

このように両者の意見が見られるのは、前件と後件がどの程度関係があるかについての解釈が一律でなく、絶対的な基準があるわけではない、ということが関係していると思われます。

「どうも」の後に打消しや不確定を示す表現がくるとありますが、「どうもありがとう」の場合はどうでしょうか。 (p.83)

「ありがとう」はもともと「ありがたい」であり、漢字で書くと「有り難い」となります。

これは「有ることが難しい」という否定的な意味合いを含んでいます。すなわち「まれだ」という意味合いになります。「~がたい」は日常では「理解し難い」という表現が最もよく使われているのではないでしょうか。「理解できない」という意味の否定表現です。

テキストでは「どうも」は本来、否定か不確実を表す文に用いられる、という記述があります。現在では日本人でさえ「どうもありがとう」の「どうも」を「大変」と同様に肯定的な語と感じていますが、実際はそうでないのです。「どうもありがとう」の「どうも」は意味上、理にかなっているわけです。

「すみません」も「済まない」という否定表現です。よく「それじゃ私の気が済まない」などと言います。日本語では「ありがとう」の意味で「どうもすみません」と言うことがあります。どちらの表現も、相手の立場に立って相手に何らかの形で迷惑をかけたのではないか、という気持ちの表れから出てきたものです。謙虚さを表わすには否定的表現が使われることが多いのが、日本語の特徴ともいえると思います。

「シミュレーション」と「プロジェクトワーク」の違いを教えてください。 (p.152、p.156)

シミュレーションは、言ってみれば、人間の社会活動の一部を教室の中に仮想的に持ち込み、その中で学習者にそれぞれの人物、あるいは役割を割り当てて、その社会活動を教室で模擬的に行う学習活動のことをいいます。テキストでは、新聞社の編集部という仮想的な場を教室の中につくり、活動を行っています。

それ以外にも、例えば「離島の空港建設反対運動」のシミュレーションでは、学習者を離島の住民であると仮定して、「建設推進派」「建設反対派」に分かれて運動をそれぞれ進め、住民投票で勝つことを目指します。最初に島の状況を理解するために、地図により全般的な地理的状況を知り、さらにさまざまな言語的情報や、図や、表により島の産業や人々の生活などを知り、島民の詳しいプロフィールのリストを学習者に配ります。それから、学習者は自分がどの島民になるのかを決め、シミュレーションを始めます。学習者はそれぞれの立場で住民集会で発言したり、他の住民を説得したりします。このようにして、クラスが空港建設問題に揺れる離島になるわけです。

これに対し、プロジェクトワークは、学習者が何らかのテーマを設定し、それを遂行するために相談をしたり、資料を読んだり、調査をしたりするなどして、話す、聞く、読む、書くなどさまざまなモードで日本語を大量に使うことにより、総合的な運用能力を伸ばそうとします。プロジェクトワークでは、テーマの設定から最後まで、一貫して学習者主導で活動が展開され、教師は必要に応じて助言を与えたり、情報や資料の入手を手伝ったり、必要な言語的な援助を与えたりする役をします。

しばしば使われるテーマには、「学級新聞を作る」「学校や町を紹介するビデオを作る」「日本人を対象に何らかのテーマでアンケートやインタビューを行い、報告書を作成する」などがあります。

<参考文献>
西口光一(1995)『日本語教授法を理解する本 歴史と理論編―解説と演習』 バベルプレス

よくある質問【テキスト5巻 言語学の基礎】

「ラング」と「パロール」が、まだよく理解できません。詳しく教えてください。(p.10)

人間の言葉は、常に一回ごとに異なるものになります。このような、言語の個人的な運用の側面のことを、言語学では「パロール」と呼びます。例えば、人間は、同じ音声を2度発することはありえません。例えばもし誰かが「りんご、りんご」と2度繰り返しても、語の音質や高さ、長さにおいて、必ずどこかに違いがあるはずです。人々が話したり、書いたりするときには、同じつもりであっても、言葉は一回ずつ異なるものになります。この一回ごとに現れた実際の言葉のことを、「パロール」と呼んでいるのです。

しかし、それを相互に私たちが理解できるのは、たとえ声の大きさや高さ、長さなどが人によって、あるいは一回ごとに異なっていても、背後に何か共通の要素があるからです。日本語母語話者は、日本語の音がどんなもので、文法がどんなものかを暗黙のうちに知っています。だからこそ、小さな声で「りんごっ」と言おうが、大きな声で「りーんーごー」と言おうが、母語話者は間違いなくこれが「りんご」であることが分かるのです。ここでいう「りんご」が、ちょうどラングに当たります。つまりラングとは、言語について、それを話す人々が暗黙のうちに了解した存在を指し、「日本語の文法」とか、「音の体系」などという場合は、いずれも言語におけるラングの性質を示しているといえます。ラングは抽象的な概念で、「言語体系」という言葉で言い換えられることもあります。ラングとパロールの関係は、概説書などでは、各種の法律(ラング)と、その実際の適用(パロール)にたとえられたり、楽譜(ラング)と、実際の演奏(パロール)などに例えられたりすることがあります。「ラング」は、常に「パロール」と対になって論じられる概念ですので、両者を比較しながら、対照的に理解するのが良いと思います。

「分節」と「文節」は意味が異なるのですか? (p.17)

「文節」という概念は、学校文法の基礎となる考え方で、文を意味が分かる範囲でできるだけ小さく区切ることです。文の途中に「ネ」「サ」を入れて切ることができる単位です。例えば、

大きな(ネ)|車が(ネ)|狭い(ネ)|道を(ネ)|猛スピードで(ネ)|走り抜けた(ネ)。 このように区切ったものを文節といいます。

一方、「分節」は、文や語をある単位で分けること、という意味です。テキストで述べているように「上位の単位が語のような下位の単位で分けられる」という「仕組み」です。そういう意味では、「文節」も、「意味の分かる範囲」という単位で分けていますから「分節」に含まれるかもしれません。ただし、分節は、文を語、さらに音、形態素まで細かく分けることを含んでいます。

例えば、「太郎は道を歩いていたらしい」は、

太郎|は|道|を|歩い|て|い|た|らしい

と分節することができます。

「排反関係」「反意関係」「逆意関係」の違いが分かりません。試験問題を解く際にはどういう視点で取り組めばいいでしょうか。(P53、54)

反義関係あるいは反義語(反対語)といわれるものには、大きく三つの語彙関係があります。
一つ目は、排反関係、背反的対義語(または相補的反義語ともいいます)とよばれるもので、「生」「死」、「表」「裏」のように一方が他方の否定になっているものです。生きていることができるものは、必ず「生」か「死」かのどちらかの状態にあり、中間段階がなく、片方を否定すると他方の意味になるものです。「出席・欠席」「ある・ない」その例になり、狭い意味で反義語という場合は「背反的対義語」を指し、排反関係にある語になります。
二つ目は、反意関係、段階的(連続的)対義語とよばれるもので、「大きい」「小さい」のように、それらの中間に順序の連続的な段階が想定できるものです。この場合は、〈大きくも小さくもない〉ことがありえます。広い意味で反義語(反対語)といわれる多くの語は、この関係にあり、「高い・低い」「暑い・寒い」はこの例に多くあります。
三つ目は、逆意関係、逆関係、相互関係とよばれるもので、「あげる」「もらう」、「貸す」「借りる」のように、同一事象の言い換えとして成り立つ関係にあるものです。〈A がB にあげた(貸した)〉と〈B がA にもらった(借りた)〉とは同じ現象の異なる視点からの表現になります。「売る・買う」や「上り坂・下り坂」もその例に当たります。
 
 試験問題を解く際には、まずはこの種類のどれかという視点で考えるのが分かりやすいかと思いますが、実は他にも語と語の対立を考える視点はあります。
例えば、
・対立語:中心点を挟んで空間的に対立する位置・方向をさす語で、
「東・西」「南・北」「右・左」「前・後ろ」などがその例です。
・両極的対義語:両極的対義語も中心点が存在し、そこから「両極」である点が対立語と違う点です。例えば「南極・北極」「最高・最低」「満点・零点」などです。

「(38)怪獣ヘドラは親切でした」という例文の意味がわかりません。 (真偽の関係) (p.60)

「怪獣ヘドラは親切でした」と言われても、まず私たちは「怪獣ヘドラ」を知りませんし、きっとそれは存在しないものでしょう。ですから、それが「親切だ」と言うのに対し、「そのとおりだ」とも肯定できず、「いや、ヘドラは不親切だ」と反論もできません。「ヘドラ」の存在すら怪しいのに、その「ヘドラ」の性格について述べることはできないからです。

テキストには「(36)が偽の場合、(35)の性質が(38)と同じになる」とありますが、これは

(36)花子が訪ねてきた。

が偽である場合、

(37)太郎は【花子が訪ねてきた】ことを忘れた。

【 】の中が偽であることになり、それを忘れるもなにも、これがナンセンスな文であることは、(38)と同じである、と書いているわけです。

(38)では「怪獣ヘドラ」が前提、(37)では【花子が訪ねてきた】が前提ですが、この前提が偽である場合、(37)(38)ともに真とも偽とも言えない、ということになります。

よくある質問【テキスト6巻 第二言語習得論】

「過剰一般化」は、「学習ストラテジー」にみえるのですが、どう違うのですか。

お気付きのように、テキスト6巻20ページの学習ストラテジーの例「宿題ありますですか。」「来るですか。」は、「ですか」を疑問文に過剰に使用した「過剰一般化」とも分類できる誤用です。学習ストラテジーは、学習を高めるための学習者の具体的な行動、あるいは態度のことをいいますが、中には習得に結び付かず、結果的に誤用を生み出してしまう場合もあり、その一つが過剰一般化であるとお考えください。

「学習ストラテジー」とは何ですか。 (p.20)

学習ストラテジーは学習方略ともいい、学習を高めるための学習者の具体的な行動、あるいは態度のことです。オックスフォード(R. Oxford)は、学習ストラテジーを「知識を習得するために学習者が使うテクニックや工夫」であるとして、以下の6つに分類しています。

  a.記憶ストラテジー
   さまざまな方法で覚えることによって学習を進める方法。
   語呂合わせや、単語カードの作成など。
  b.認知ストラテジー
   習った項目を使って繰り返し練習したり、理解しやすく分析したりする方法。
   スキミング(内容の大意をつかむ)やスキャニング(必要なものだけつかむ)、重要な部分にマーカーで
   印を付けるなど。
  c.補償ストラテジー
   外国語を理解したり、発話したりする際に足りない知識を補う方法。
   知らない単語を言い換えたり、文脈から推測したりする。身ぶり手ぶりなど。
  d.メタ認知ストラテジー
   学習者が認知するために調整するさまざまな方法。(bの上の段階)
   どのように勉強するか計画を立てる。自分の学習を振り返って評価するなど。
  e.情意ストラテジー 
   学習者がくつろいで不安のない状態で学習するよう心掛ける方法。
   好きな音楽をかけたり、冗談を言ってリラックスしたりするなど。
  f.社会的ストラテジー 
   人との交流によって学習を進める方法。 
   目標言語話者の友人を作って話す機会を得る。ペンフレンドをつくるなど。

テキストで取り上げられている「*先生、宿題ありますですか。」「*先生は、学校、来るですか。」のように「ですか」を疑問文を表す形式として文末に取り付けてしまう学習ストラテジーの例は、過剰一般化とも取ることができます。しかし、すべての学習ストラテジーが過剰一般化になるわけではありません。
例えば、ある英語話者が「ありがとう」を「alligator(アリゲーター:小型のワニ)」に結び付けて覚えていました。しかし、実際に日本人にお礼を言う際、「感謝の表現=ワニ」と覚えていたため、「Crocodile!(クロコダイル:大型のワニ)」と発話してしまった、ということがあります。これは学習ストラテジーの中の記憶ストラテジーが不適切に作用した例です。
<参考文献>
迫田久美子(2002)『日本語教育に生かす第二言語習得研究』 アルク

「有標」と「無標」について、よく分かりません。 (p.28)

日本語では、形容詞「長い」「短い」は、相互に意味的な対立関係にあり、「長い」の方が「どっちが長いか」「どのぐらい長く」「どのぐらいの長さか」など、汎用性と高い使用頻度を持っています。もちろん「短い」も、「どっちが短いか」「どのぐらいの短かさか」という文を作ることはできますが、その場合は、対象物が短い性質を持っていることが含意されている場合に限られます。また、物の長さを言うときに「短さは」という表現は、日本語として不自然に思われます。有標性とは、ある要素(この場合は「長い」)が、他の要素(ex.「短い」)より基本的かつ自然で、使用頻度が高いときにそれ(「長い」)を「無標」と呼び、他の要素(「短い」)を「有標」と呼ぶものです。有標性の概念は、音韻や文法におけるさまざまな現象の説明に用いられています(ただし、有標性は傾向ですので、すべての言語項目が有標、無標で割り切れるというようなものではありません)。

動詞の場合、「読む」と「読まない」「読んで」「読めば」などを比べると、どちらが基本的かを考えれば「読む」が無標といえるでしょう。例えば「読む」の活用を答えなさい、という問題はありますが、「読まない」の活用を答えなさい、とは普通は聞きませんよね。

同様に、核心文法と周辺文法を考えるとき、どちらが基本的かというと、核心文法、ということになります。核心文法を基本として、それからさまざまな言語規則を獲得したものが周辺文法ですから、基本となる核心文法が無標、ということになります。

「言語転移」と「母語干渉」は同じものと考えていいですか?(p.44)

テキスト6の19ページにもありますが、「言語転移」は中間言語研究でセリンカーが中間言語が作られる要因としてあげているものです。学習者の母語(または既習の言語)が第二言語を習得する場合に何らかの影響を与えることをいいます。これに対し、対照分析研究では母語が第二言語学習に悪い影響を与えると考えたため「母語干渉」という表現を用いました。この二つの大きな違いは、前者はプラスにもマイナスにも働く可能性がある(「正の転移」「負の転移」)と考えているのに対し、後者はマイナスに働く場合のみを考えているところに違いがあります。

「メタ認知ストラテジー」とはどういうものか分かりません。 (p.46)

meta-はもともと、「のちに、ともに」などの意を表す接頭辞ですが、後に学問の分野を表す語(psychology、 mathematics、 linguisticなど)を伴い、関連する新しい学問分野を意味する語をつくります。

テキスト6巻では、「メタ認知ストラテジー」として出てきます。例えば、漢字学習者が、1日3つの漢字を10回ずつ書いて覚えることにしたとしましょう。どんな種類のストラテジーが現れるでしょうか。まず、「繰り返し、反復」のストラテジーが使われるでしょう。これは「認知ストラテジー」と呼ばれるものの一つです。一方で、「この勉強方法を1年間続けていくと、約千個の漢字を覚えられる計算になるから、新聞記事に出てくるだいたいの漢字が分かるようになる」と考え、「新聞が読めるようになるため」という学習目標を持つのが「メタ認知ストラテジー」です。つまり、「メタ認知ストラテジー」は、学習を総合的に進めていくために必要なストラテジーの一つといわれ、どのように勉強するかの計画を立てたり、自分の学習を振り返って評価したりすることを指します。「認知ストラテジー」のさらに上の段階で用いられます。

「教室指導の提示順序は、第二言語の発達順序に影響を及ぼさない」の意味が分かりません。 (p.52)

「教室指導の提示順序は、第二言語の発達順序に影響を及ぼさない」という部分についてのご質問ですが、まず「提示順序」と「発達順序」という言葉の説明をしましょう。

この「教室指導の提示順序」というのは、教室で提示する文法項目の順序のことです。例えば、「これは本です」と「私は今日学校へ行きます」のどちらを先に教えるか、または「ている」にはいろいろな意味がありますが(現在進行中の「私は今、ご飯を食べています」や結果の状態の「私は結婚しています」など)、そのうちどれを最初に教えた方がいいのか、ということです。

そして「発達順序」ですが、これはテキスト39ページで解説されている「発達順序(developmental sequence)」のことです。つまり、疑問文や否定文といったある項目を習得する際に必ず通る普遍的な道筋のことです。

ですから、この「教室指導の(中略)及ぼさない」という部分は、学校や先生がどのような提示順序で教えても、学習者がある項目を習得するために通る道筋は影響を受けず変わらない、ということです。しかし、これは「教える順序は何でもいい。あまり深く考えなくてもいい」という意味ではありませんので、教育の現場ではそれぞれの教育目的や教育機関の考え方を踏まえて、どのような順序で教えるかを考えて計画しなければいけないでしょう。

「場依存型」と「場独立型」の「場」と「部分」のとらえ方とは、具体的にどういうことでしょうか。 (p.55)

第二次世界大戦中に、高度な訓練を受け、非常に優秀とされるパイロットの中に、夜間飛行の最中、コースを見失う者や天地が逆転する者などが出てきて問題になったそうです。「場依存型(field-dependent)」「場独立型(field-independent)」とは、もともと、このような問題に端を発した心理学的研究によって出てきた概念です。

パイロットの場合でいえば、注意をそらすような外的な刺激や要因に惑わされることなく垂直を知覚し、方向を見失わないための手掛かりに集中できるタイプが「場独立型」と呼ばれました。一方で、垂直や方向を判断するための要因と、他の決定に必要な要因とを分離できないタイプを「場依存型」と呼びました。

では、日本語学習者においては、このようなタイプの違いはどのようにとらえられるのでしょうか。ご承知の通り、教室には、さまざまな学習者がやってきます。中には、「よくやっているようだけれども、何だか上達しない」と職員室で話題になる学習者もいます。例えば、非常にフレンドリーで、クラスになくてはならない存在となっていて、しかも重要な場面でとてもいい意見を出してくれたり、情報提供をしてくれたりする、しかし、いつまでたってもその言語運用の中に既習の文法項目など教室でやったことが反映されていかないという場合です。もう少し具体的に言えば、いつまでも単文をたどたどしくつないで話を通じさせようとする、例えば「て形」で文をつないだり、複文を使うといったことができるようにならないというような場合があります。一方で、クラスで行われていることがどのくらい分かっているのか、と疑うほど、いつもは静かにしていて、そのくせ、指名されると前課までに習った文法事項などを正確に取り入れて発話できる学習者もいます。

どの人はどちらのタイプと決め付けてかかることには注意が必要なのですが、前者はどちらかといえば「場依存型」、クラスの雰囲気や流れはよく把握しながらも、そこで取り上げられている文法や知識といったものにフォーカスすることができないタイプでしょう(「できない」という場合もありますし、そういったことにあまり重点を置かないという場合もあるでしょう)。後者は、どちらかといえば「場独立型」で、クラスで行われているロールプレイなどのアクティビティーをきちんと練習の場面としてとらえ、そこで習い覚えるべきことに十分に注意を払うことができるタイプといえるでしょう。このような違いが、55ページの表中「場・部分のとらえ方」に説明されていることの一例と考えていただければいいと思います。

ただし、コースが終わって、たいていの学習者は多くの日本人の中に放り込まれて、さまざまなコミュニケーションの必要に迫られていくわけですが、そうなった場合に、どちらが成功していくタイプかというのは、なかなか予測がつけがたいものがあります。

「コンテクスト」とはどういう意味ですか。 (p.64)

「コンテクスト」とは、文脈や脈絡、場面といった意味です。例えば、外国でホームステイしているとします。キッチンで家族に「xxxは好き?」と聞かれました。xxxの部分は分からなかったのですが、調理してあるものを見て、これかなと見当をつけ、「好きです」と答えました。これは高コンテクスト・コミュニケーションの例です。

同じ「xxxは好き?」という文を訳せという問題が、語学のテストで出たとします。短文がたくさん並んでいるだけで、ヒントはありません。これは低コンテクスト・コミュニケーションです。

外国語で映画やドラマを見るとき、始めから見ていれば理解できたものも、途中から見たのでは、登場人物の関係や設定が分からずに非常に苦労することがあります。コンテクストが分からないからです。

よくある質問【テキスト7巻 日本語の音声Ⅰ】

「イントネーション」と「プロミネンス」の違いを教えてください。 (pp.33-45)

イントネーションは文全体に高低の音程をつけて、発話のニュアンスや文法などを表す機能のことです。アクセントが語単位の高低であるのに対して、イントネーションは文単位になります。広義では発話全体につけられた抑揚のことをいいますが、狭義では文末の抑揚のことをいいます。

プロミネンスは発話の中で、ある部分を際立たせて発音することをいいます。何かを対比させるときに用いることが多く、例えば「明日は田中さんは来ない」(下線の部分が際立たせたところ。「田中さんは来ないが、他の誰かは来る」という意味で)や、「明日は田中さんは来ない」(「明日は来ないけど、他の日は来る」という意味で)などです。際立たせる部分は、強く発音されたり、逆にささやきにしたりして、強調します。

「音声」と「音韻」の違いを教えてください。 (p.48)

まず、音声から説明したいと思います。音声というのは私たちが発する音で、コミュニケーションのために音声器官を使って作られたものを指します(例えば、くしゃみや拍手などは除かれます)。ですから「音声上」というときは、その音声をあるがままにできるだけ正確に表そうとします。しかし、厳密に言えば、私たちが発する音声は発するたびに多少の違いがあります。すべてを記号化するには無理があるので、国際音声記号というものが作られています。これは人が作る音をできるだけ細かく正確に表そうとしたものですから、どの国の言葉についてもこの記号が指す音は同じです。

それに対して音韻というのは、ある言語の中で意味を区別するための最小単位を抽象化したものです。テキストの例にあるように、私たちが日本語でラ行の言葉を話すとき、[l]と[r]の区別は意味の違いに影響がありません。ちょっとぎこちない感じはしますが、「そら」の「ら」を[l]と[r]で発音してみてください。どちらの発音をしても「空」を思い浮かべると思います。つまり、正確な機械などに通せば、[l]と[r]という異なる音として区別されるものが、日本語という言語では/ラ/という一つの音素としてまとめられ、音韻上では一つにくくられます。もう一つ、/ン/という音を考えてみましょう。駅のホームにあるローマ字表記の駅名を思い出してください。新宿はshinjuku、新橋はshimbashiとなっているかと思います。同じ「ん」の音ですが、唇が閉じない[n]と閉じる[m]の違いが実はあります。つまり、音声上では二つの異なる音ですが、日本語としてはどちらも同じ音素で表されます。でも、これは他の言語では意味を区別する重要な違いになってしまいます。ですから、音韻というのはそれぞれ言葉によって異なります。

ですから、私たち日本人が英語を勉強するときに苦労する[l]と[r]は、日本語の音韻では一つの/ラ/という音であるのに、英語の音韻では意味の差が出てしまうから難しいのです。日本語では意識しなくてもよかった音声上の違いを、英語では意識しなくてはいけないのです。それと同じことが中国語や韓国語話者の[p]と[b]、[g]と[k]などにも起こるのです。

よくある質問【テキスト8巻 日本語の音声Ⅱ】

「拍」と「音節」の違いが分かりません。 (pp.51-53)

拍(モーラ)は、通常一文字で表される単位ですが、「きょ」「りょ」などの拗音の場合は、大小2文字で表し、1拍(モーラ)です。促音(「っ」)、撥音(「ん」)、長音(「おとうさん」)も1拍と数えます。手をたたいて数を数えると拍の感覚が分かりやすいと思います。例えば「とうきょう」は何拍ですか? 「と・う・きょ・う」で4拍ですね。日本語学習者は、「とうきょ(3拍)」になることがありますが、これは拍の問題です。

日本語の音節は、子音+母音の組み合わせだけではなく、母音単独でも1音節となります。

「アクセントの平板化」とは、どういうものですか。 (p.61)

平板型というのは、アクセントの下がり目が無い型をいいます。アクセントの平板化というのは、平板型以外のアクセントだったものが、平板型のアクセントで発音されるようになることです。例えば「彼氏」という語は以前は
 _
「カ|レシ」 (頭高型)
    ̄ ̄
というアクセントだったものが、最近、特に若い人の間では
   __
「カ|レシ」(平板型)
  ̄
というアクセントになっている、ということが挙げられます。

平板化が生じる理由は、日本語のアクセントには「なじみを感じるものは平板化する」という傾向があるためだと言われています(例えば、地名の「名古屋」「長野」は東京では「な」が高くなりますが、地元では平板になります)。

よくある質問【テキスト9巻 異文化理解と心理】

「リエントリーショック」について詳しく教えてください。 (p.21)

リエントリーショックは、「復帰ショック」とも呼ばれ、カルチャーショックの一つのタイプとして分類されます。これは、外国で生活し、外国生活に適応していた人が、その後帰国した時に体験するカルチャーショックのことです。

外国では、異文化という意識が働きますが、帰国した場合は、自分がもともといた場所だという意識が強く働きます。そこで、外国生活の間に自分の中で起こった変化や、自分がいなかった間に元の国で起こった変化に気付かず戻ってきてしまうと、「こんなはずではなかったのに」というカルチャーショックが引き起こされてしまうのです。

リエントリーショックは、どのように人と接すればよいか、あるいはどのように振る舞うべきか(行動様式)など、さまざまなレベルで経験されます。

「ステレオタイプ」と「スキーマ」の違いは何ですか? (p.31)

キーマは、物事や現象、出来事、あるいは人や集団に対して、経験から何らかの意味付けを行うことでできていく枠組みであり、私たちは日々の日常生活のあらゆる面において、常にさまざまなスキーマを経験的に得て、またそれを用いて物事を効率的に処理しています。もしスキーマが無かったら、出会ったさまざまな物事や出来事、人を、そのたびに「まったく新しいもの」として処理しなければならず、社会生活が成り立たなくなってしまいます。つまり、スキーマは人間が周りの世界を認知し、社会生活を営んでいく上で必要不可欠なものなのです。

それに対してステレオタイプは、物事や現象に対する見方が単純化したものを指します。スキーマは、ある物事に関連する知識の総体として、特定の意味付けの下にその枠が作られ、また新たな経験を通じて常に変化していくものですが、ステレオタイプは「型にはまった考え方」とよく言われるように、固定的な見方であり、物事を個別的にとらえたり、差異に注目した見方ではありません。「イタリア人は明るい」のような例からも分かるように、ステレオタイプは集団に対して付与されることも多く、自分が経験したり見たりしたこともなく、あまりよく知らないうちから「これはこういうものだ」という一方的な見方になりやすい側面を持っています。

「バイカルチュラル」とは何ですか。 (p.43)

バイカルチュラルな人間とは、二つの異なる文化について、行動面において使い分ける能力を持った人間のことをいいます。人間は自分が生まれ育った社会や国の文化を身に付けますが、これを母文化といいます。また、留学生のように成人になって外国で暮らす外国人は、その国の文化(異文化)を意識的に学習し、それに見合う行動を取る場合が多いです。

しかし、人間はある時期(14~15歳)を過ぎると、それ以降に接触した言語や文化を母語や母文化のように身に付けることはできない(「臨界期仮説」といいます)という考え方があります。文化に関しては、外国に暮らす人々は異文化について心情的に理解できなくても頭で理解して、その国の人の行動に合わせながら生活することが多いです。

14~15歳の人間が異文化圏に入った場合は、母文化と異文化の違いを認識した上で、異文化に合わせて行動することが多いです。このように、二つの文化(異文化、母文化)について、行動面で使い分けができる人間をバイカルチュラルな人間といいます。

しかし、ここで大切なのは、上でも述べたように、母文化を既に身に付けている成人は、異文化に対して頭で理解できても必ずしも心情的にも理解できるとは限らないということです。そのため、外国人が日本人と違うところを理解した上で、その人を一個の独立した人格と認めることができれば、それで十分ではないかと思われます。

「メタ認知」「メタ認知能力」の「メタ」という言葉はどういう意味ですか。 (p.48、p.96)

メタ~[meta~]という言葉は、「超~」「高次~」などと訳されますが、「メタ認知能力」とは「認知能力」より高次の能力ということになります。

テキスト9巻48ページに「人間がなにかをうまくやっていくためには、自分の物事のとらえ方や考え方を一段上からモニターしコントロールする、という技能が必要になる」とありますが、この能力が「メタ認知能力」です。

学習場面で考えてみますと、例えば、単語を覚える場合、「暗唱しながら覚える」「ノートに書きながら覚える」「ダジャレのようにして覚える」「文章ごと覚える」など、いろいろなやり方があります。これらは「認知能力」に含まれますが、このときに、どのやり方が自分にとっては効率的かなど、自分の認知過程をモニターし、制御する能力を「メタ認知能力」といいます。

よくある質問【テキスト10巻 日本語の文法-基礎】

「自動詞」と「他動詞」の判別の仕方が分かりません。

まず、動詞の意味では判別できません。自動詞は、自然に起こったり、一人で行ったりする動作で、他動詞は人や物の力が必要になる動作と考えると、動詞の中には判別が難しいものも出てきます。日本語の自動詞と他動詞の区別の仕方は、簡便な方法としては、ヲ格の目的語が付くものは他動詞、付かないのが自動詞とする方法があります。初級文法で扱う「開ける/開く」、「閉める/閉まる」「消す/消える」などを例に考えると、「開ける」は「ドアを開ける」となるので他動詞、「開く」は「ドアが開く」となるので自動詞となります。「歌う」「習う」は、「演歌を歌う」「ピアノを習う」のように「を」を付けることができるので他動詞、と判断できます。同様に、「行く」「通う」は、「学校を行く」「レッスンを通う」とはならないので自動詞となります

「色男」「金持ち」「高学歴」「マザコン」は形容動詞になりませんか? 「~な」といえるのでは?(p.8)

品詞の分類というのは、実は難しい問題です。試しに「危険」をお手元の国語辞書で調べてみてください。

ごく一般的な国語辞書を見てみますと、「名詞、ダナ形」とする辞書があり、「-な」とする辞書があります。辞書によっても判断が分かれるのです。このような状況ですから、日本語教師であっても、全員が一致した見解を持っているわけではありません。ただし、テキストでご紹介した程度の語についてでしたら、おおむね定着した理解と考えていただいてよいでしょう。

ご質問の「(5) ハンサム  色男  金持ち  高学歴  マザコン」を、名詞と形容動詞(ナ形容詞)に分ける方法ですが、テキストにもあるとおり、「~の+名詞」になるものを名詞、「~な+名詞」になるものを形容動詞と考えます。現在のところ「金持ちな+名詞」は、規範として社会的に定着しているとは言い難いと思います。ネット上には「金持ちな男」などの使用がかなり見られますが、割合的に考えると、社会的な地位を獲得する途上にあるとみるべきでしょう。現在のところ、日本語教育では「名詞」として扱われていますが、今後これらの語の「~な+名詞」という使用が、社会的に広く定着していくなら、将来「形容動詞」となる可能性があると思います。

なぜ「ル形」という用語を使うのでしょうか? 辞書形ではないのですか?(p.87)

辞書形、ル形とも、動詞の形の上では同一に見えます。しかし、これらの用語が一体、何と関係を持っているかという点では、異なっています。

「ル形」という用語は、「過去」を表す「タ形」と対立関係を持ち、概念化されています。日本語では、述語における「タ」は過去を表します。タ形でなければ必ずル形であり、「非過去」を表すとされています。このル形・タ形という用語は、主にテンス(時制)とのかかわりでとらえられます。

ところが「辞書形」には、こうしたテンスの問題は基本的に関係ありません。動詞・形容詞の終止形であり、辞書の見出し語となるものとして、便宜的に「辞書」形という言葉を当てているのです。「辞書形」は、「ます形」「て形」「ない形」などの活用形と関係を持ちます。従って、「タ形」と「辞書形」が対立関係にあるということもできません。

テキストでは、「テンス・アスペクト」の解説ですので、ここでは「ル形」という用語を用いて説明することが正しいわけです。

内の関係/外の関係が分からないんですが。(p.125)

この二つの違いを理解するには、「格関係」というキーワードを覚えてください。「ガ」「ヲ」「ニ」「デ」「カラ」「ヘ」「ト」という格助詞が関係します。
「太郎が本を読んだ」、この文は、「太郎」「本」「読んだ」を「ガ」「ヲ」という格助詞が結んでいます。「読む」という動詞が最低限必要とする「ガ格」と「ヲ格」からなっていると言えます。この文をもとに、内の関係の連体修飾節を作ってみると、「[太郎が読んだ]本」「[本を読んだ]太郎」の二つができます。
テキストの例文(12)「わたしが食べたステーキ」を、元の文に戻してみると、「わたし」ガ「ステーキ」ヲ「食べた」となり、これもやはり格関係からなっているとわかります。(13)「北海道で会った人」や(14)「サンマを焼く男」もそうです。
一方(17)「誰かが階段を降りてくる音」を、このように格関係で表すことができるでしょうか? 「誰か」「階段」「降りてくる」「音」の間に格助詞だけを入れて文を作れますか? 「誰か」ガ「階段」ヲ「降りてくる」まではつながりますが、底となっている「音」が残ってしまいます。「誰かが階段を降りてくる」ときにたてている「音」なんですよね。このように、格助詞が成立していると解釈できない関係を、外の関係といいます。

よくある質問【テキスト11巻 日本語の文法-応用】

「氷を凍らせる」は、誤った表現では? (p.106)

氷は既に凍っているから凍らせるのはおかしいのではないか、ということですね。そのような理屈で考えるとおかしい文がそのほかにも多く存在します。例えば、「ケーキを焼く」「ビルを建てる」「ごはんを炊く」「穴を掘る」「お湯を沸かす」などです。正確には、「小麦粉を練った生地を焼く」、「米を炊く」、「水を沸かす」なのに、違和感がありませんね。このように既に出来上がっているものを目的語にできるものを「結果目的語」と呼びます。「氷を凍らせる」の「氷」は結果目的語として扱われており、間違いではないのです。ただし、結果目的語を取り得る動詞でも、目的語が変化する以前の状態を取り立てて問題にしたい場合などは、変化前の状態にある目的語を取ることも可能です。「固い岩盤を掘る」や「やかんの水を沸かす」などがその例です。

「Vタ」「Vル」「N」とは何ですか?(p.47)

「V」とは、動詞(verb)を指しています。テキスト11巻17ページの表でも「V」が使われていますのでご参照ください。「N」は、名詞(noun)のことです。日本語教育の場でもよく使われている用語ですので覚えておきましょう。

「Vタ」とは、動詞のタ形のことで、「飲んだ」「食べた」など「た(だ)」につながる形をいいます。タ形については、テキスト10巻26ページ、テキスト11巻26ページに説明がありますのでご覧ください。

「Vル」とは、動詞のル形のことで、「ある」「食べる」のような「る」で終わる動詞の形のことをそう呼びます。ル形については、テキスト10巻87ページの2行目から説明がありますのでご覧ください。ただ、同テキスト同ページ8行目からの説明にもあるように、「る」で終わらないⅠグループの動詞(「歌う」「話す」「聞く」「写す」など)についても、辞書形は「ル形」と呼んでいます。

準備の「ておく」と放置の「ておく」の見分け方が分かりません。(p.96)

まず、テキスト97ページの「準備」の用法をご覧ください。

(1)リクルートスーツを1着買っておこうと思う。
(2)今日は予約をしておきました。

(1)は、「ておく」を取った「買おうと思う」と同じ意味ですね。(2)も、「予約をしました」と同じ意味です。準備の「ておく」は、通常、話し手自身の行為・動作に用いられます。第三者の行為を表すことはできません。例えば、

「田中さんがやっておきます。」

は不自然ですね。

次に、「放置」の用法をご覧ください。
(3)「窓を閉めましょうか」「いいえ、開けておいてください」
(4)「起こそうか?」「疲れているようだから、寝かせておこうよ」

(3)は、すでに窓は開いている状態ですから、「ておく」を取った「開けてください」と同じではありませんね。「開けてください」は窓が開いていない状態の場合に言いますよね。(4)も、すでに寝ているので、「ておく」を取った「寝かせようよ」とは意味が異なります。「寝かせようよ」は、まだ寝ていない場合に対して言いますね。例えば、夜遅くまでテレビを観ている子どもに対して、両親が互いに「もう寝かせようよ」と話している、という場面が浮かびます。「寝かせておこうよ」は、眠っている子どもに対して、両親が「疲れているようだから、寝かせておこうよ」と話している場面が考えられます。

このように「放置」の場合、「ておく」を取ると、まったく意味が異なってしまうのがお分かりでしょうか。

参考資料をご紹介しますので、ご参照ください。

<参考文献>
市川保子(2005)『初級日本語文法と教え方のポイント』 スリーエーネットワーク

よくある質問【テキスト12巻 日本語史/日本語教育史】

ひらがなとカタカナでは、どうして字源が違うのですか。 (p.13)

テキスト13巻「日本語の文字表記」第2章にもありますように、ひらがなははじめから1音節に一つの字体というように整理されていませんでした。現在のようになったのは1900年の小学校施行規則によるものです。ですから、テキストの表はいくつかあった変体仮名から最終的に統一された字体の字源のみを示しています。つまり、ひらがなの字源にもカタカナの字源にも同じものが含まれていましたが、長い歴史の中で中心的に使われるものがひらがなとカタカナでは異なり、結果的に字源が異なったのです。

ひらがなについて言えば、鎌倉初期の藤原定家には字体を意図的に使っていた跡があり、語頭に来る仮名、行末に来る仮名、区切れを示すための仮名というように1音節に対して多くの字体がありました。ひらがなの字源を示すと、「あ」には「安」「阿」「愛」「悪」、「い」には「以」「意」「伊」「移」などです。

カタカナも同様に、1音節に対して多くの異体字がありました。仏教の宗派や研究者の学派によって異なることもありました。それが徐々に異体字が少なくなり、統一される傾向になりました。テキストに載っている表は、ひらがなと同様に1900年に統一されたものの字源です。統一される前には「ア」には「阿」「安」を字源とするものがありました。

ですから、テキストに載っている表だけを見ると字源が異なるように見えますが、それは長い歴史を経て数ある異体字の中から統一して使われるようになったものだけを取り上げているためです。

下記の文献に、文字史の説明や巻末の字体表に詳しく載っていますので、参考にしてください。

<参考文献>
沖森卓也編(1989)『日本語史』 桜楓社

「上ニ段活用」「下二段活用」とは何ですか。 (p.15)

テキスト12巻「日本語史/日本語教育史」15ページ「1-9 文法の変遷」をみてお分かりになるように、古語では最大9種類あった活用形式が、時代を経るうちに活用形式が集約されて今日では5種類となっています。例えば、上一段、下一段の大半は、昔の上二段、下二段が一段化したものです。文語で唯一の下一段動詞だった「蹴る」は今日では五段活用に合流しています。ナ変、ラ変も五段に合流しました。ご質問の上二段動詞の活用と下二段活用の例は次の通りです。

◇ 上二段活用動詞 
上二段活用は、語尾の母音が、五十音図のイ、ウの段に活用するものです。
例:カ行上二段活用の動詞「過ぐ」

未然 過ぎ(i)ず
連用 過ぎ(i)て
終止 過ぐ(u)。
連体 過ぐる(uる)こと
已然 過ぐれ(uれ)ど
命令 過ぎよ(iよ)

ほかに、「生く」「落つ」「老ゆ」があります。

◇下二段活用動詞
上二段活用は、語尾の母音が、五十音図のエ、ウの段に活用するものです。

例:「受く」
未然 受け(e)ず
連用 受け(e)て
終止 受く(u)。
連体 受くる(uる)こと
已然 受くれ(uれ)ど
命令 受けよ(eよ)

ほかに、「得(う)」「逃ぐ」「果つ」「聞こゆ」「植う」などがあります。

よくある質問【テキスト13巻 日本語の文字表記】

「時計」の発音は、「トケイ」ではなく「トケー」が正しいのですか (エ段長音について)。 (p.58)

発音の仕方は個人差はあると思いますが、「現代仮名遣い」の「付記」にあるように、多くの人が[トケイ]ではなく[トケー]と長音化しているものと思われます。表記と発音のずれが違和感を感じさせるかもしれませんが、イ段、エ段ともに表記では「い」を用いて長音の音を表します(「おねえさん」等の例外あり)。実際に「時計」だけではなく例えば「ちょっとその時計、取って」「今何時? 時計みせて」というように言ってみると「時計」が[トケー]と発音されているのがお分かりになると思います。

「活用語尾を送る」とはどういうことですか。 (p.62)

活用語尾というのは活用形で変化する部分のことです。例えば「書く」でしたら、「書か(ない)・書き(ます)・書く・書く(とき)・書け(ば)・書け」と活用しますが、変化する部分「か・き・く・く・け・け」を活用語尾と呼んでいます(日本語教育ではあまり「活用語尾」という言葉を用いることはありません。国語教育で出てくる言葉です)。

どうして活用語尾を送るかを、例えば「催す」で考えてみましょう。

 もよ A 催おす:催おさない 催おします 催おす 催おすとき 催おせば 催おせ
もよお B 催す :催さない  催します  催す  催すとき  催せば  催せ
もよおす C 催  :催ない   催ます   催   催とき   催ば   催

Aでは活用語尾ではない「お」から送り仮名として送っています。しかし、活用を見るとどれも「お」があり、少々煩わしい感じがします。

逆にCは活用語尾を送り仮名として送っていません。すると「催」だけで「もよおさ」「もよおし」「もよおす」「もよおせ」という読み方が出てきてしまい、紛らわしくなってしまいます。

このようなことを避けるため、Bのように活用語尾を送り仮名として送る(つまり送り仮名としてひらがなで書く)ことが通則として挙げられているようです。

よくある質問【テキスト14巻 日本語の文字表記】

「したづつみ」は、連濁の法則からすると「したづづみ」になるはずですが、なぜ濁音が繰り上がるのですか。 (p.111)

舌鼓は「した」+「つづみ」ですから、連濁の法則に従えば、「したづづみ」と発音されることになります。しかし、テキスト14巻「日本語の語彙・意味」111ページにもありますように、話し言葉には、濁音が連続するのを避ける傾向があります。よって、「舌鼓」は、連濁せずに「したつづみ」と発音されます。

テキストで言及している「したづつみ」は、通常のルールに従って連濁が起きた結果、濁音の連続(づづみ)を嫌って2番目の音が清音化し、「づつみ」となったことを指しています。古く、『日葡辞書』(17世紀)の記述には「したつづみ」とあることから、「したづつみ」は、慣用的な読みとして後年、認められるようになっていったものと考えられます。現在ある国語辞典では見解は分かれているようですが、見出し語としては「したつづみ」を挙げ、「したづつみ」も許容する立場を取っている場合が多いようです。NHKの『日本語発音アクセント辞典』も、「したづつみ」を否定する立場ではありませんが、「したつづみ」を採用しています。

「換喩」「提喩」の違いが分かりません。(p.94)

テキスト14巻「日本語の語彙・意味」p.94に載っています。「~のようだ」「~みたいだ」のような比喩的な表現を使うものを「直喩」そうでないものを「隠喩」(メタファー)と呼びますが、特に「換喩」と「提喩」が分かりにくいため、山梨正明(1996)『認知文法論』くろしお出版 を引用して説明させていただきます。
以下引用です。
換喩 metonymy
 ある対象を指示するために、それと空間的・時間的に隣接した対象で表す慣用的比喩。換喩は、発話状況や文脈における隣接関係に依拠している。たとえば、(a)顕著な対象で空間的隣接対象を指す:部分で全体(赤ずきん(をかぶった女の子))、容器で内容物(ボトル→酒)、場所や建物で機関(ワシントン、ホワイトハウス→合衆国政府)を示す。(b)顕著な事象で時間的随伴事象を指す:結果で原因(涙を流す→泣く)、原因で結果(ハンドルを握る→運転する)、作者で著作(チョムスキー(の書いた著作)をよむ)を示す。

提喩 synecdoche
 カテゴリで事例を、あるいは事例でカテゴリを指示する慣用的比喩。カテゴリの包含関係と典型性に基づく。たとえば、「花見に行く」はカテゴリ名「花」で典型例「桜」を指し、「白いものが降ってきた」は「白いもの」カテゴリで典型例「雪」を指す。逆に、「人はパンのみにて生きるにあらず」は,典型例「パン」で上位概念「食物」「物質的満足」を指す。

以上が引用です。
このように「隠喩」と「提喩」の違いは、「提喩」が「カテゴリーの抱合関係」があることに対して、「隠喩」は「類似性」つまり「なにか似ているものに例える」という点に違いがあります。

「ある種の漢語に関しては、起こるはずのない連濁」について。どうして「起こるはずがない」のでしょうか。 (p.119)

連濁が起こるときとは、連濁は一語化した後項成分の語頭の清音に生じる現象ですが、語種からいうと、基本的には和語にしか生じず、外来要素は原則的に語形変化をしません。例えば、撥音の直後の音は連濁が起こりやすいとされていますが、「かんだ」(神田、噛んだ)とはなっても、「かんたん」(簡単)、「かんたく」(干拓)であって、「かんだん」「かんだく」とは決してなりません。つまり「茶碗」「天下」などの漢語は、今でこそ語種意識もあいまいになりつつありますが、そもそもは外来要素ですから連濁は「起こってはならない」はずなのです。しかし、実際には濁音となっており、逆に言えば、このような語は、和語と変わらないぐらい日本語になじんでいるということがいえると思われます。

また、別の見方としては、和語では用言の複合語よりも名詞の複合語で連濁が起こりやすいという条件があります。例えば、「乱れ咲く」(みだれさく)が名詞形になると「乱れ咲き」(みだれざき)になるような場合です。「湯飲み茶碗」「三日天下」などは名詞ですから、本来起こらないはずの連濁が起こったとも考えられます。

よくある質問【テキスト15巻 社会言語学】

「メタファー」とは何ですか。 (p.58)

例え言葉の一種で、隠喩のことです。例え言葉には、直喩、隠喩、換喩、擬人法、誇張法など、いろいろあります。

直喩は「白魚のような指」「動かざること山のごとし」のように、「ような」「あたかも」「まるで」「ごとし」「例えば」など例えであることを示す語を用いて例えることです。

それに対して、メタファー(隠喩)はそうした語を用いずに、ある事柄をそれとよく似た別の事柄を用いて直接ズバリと言って例えることです。例えば、「人生は芝居」や「時間はお金」などです。このように、原則的に、目に見える物理的・肉体的な物を基盤にして、目に見えない抽象的・思想的なものを概念化することをメタファーといいます。

このほか、認知言語学では換喩(メトニミー)がよく取り上げられます。メトニミーは、ある事柄をその物の近くにある別の物を用いて表現することです。例えば「昨晩、シェイクスピアを読んだ」の「シェイクスピア」は「シェイクスピアの作品」のことです。「シェイクスピア」と「シェイクスピアの作品」は近い関係なので、「シェイクスピア」だけでその作品が表現できるのです。

<参考文献>
吉村公宏(1995)『はじめての認知言語学』 研究社

「うねり音調」「ゆすり音調」とはどういうものですか。 (p.31)

福井方言の特徴として挙げられるのが「うねり(ゆすり)音調」です。これは、文末や文節末でイントネーションが波打つように上下するというもので、北陸地方の方言に見られます。

よくある質問【テキスト16巻 日本語の話しことば】

「丁寧語」と「丁重語」はどう違うのですか。 (p.93)

91ページに、「話し相手に敬意を表す対者敬語(丁寧語や丁重語)」とありますから、テキストでは明らかに両者が使い分けられていることが分かります。そこで、テキストにある「丁寧語」と「丁重語」を比べてみると、「丁寧語」の例には「です・ます・ございます」があり、「丁重語」にも、「ございます」があります。

実は、この二つの「ございます」は、丁寧語の場合であれば「です・ます」と同様に、文末表現として丁寧さを表すものになり、丁重語の場合は、動詞「あります」が謙譲語の形になって「ございます」と表現されるものとしての違いがあります。例えば、「こちらがお手洗いでございます」の場合は丁寧語、「こちらにお手洗いがございます」の場合は丁重語となります。

「謙譲語Ⅰ」と「謙譲語Ⅱ」はどう違うのですか。(p.96)

謙譲語Ⅰに分類される、「伺う」と、謙譲語Ⅱに分類される「参る」の違いについて、ご説明します。

謙譲語Ⅰというのは、行為の相手に対して立てています。そこで、行為の相手がある動詞について使われます。
謙譲語Ⅱというのは、話し手・聞き手に対して丁重に述べているものです。

例えば、「昨日、父のところへ伺いました。」というのは、正しい謙譲語の使い方ではありません。
「伺う」は、行為の向かう先の人物を立てる謙譲語Ⅰなのですが、行為の向かう先→父のところ、と身内である父を立ててしまっているためです。
「昨日、父のところへ参りました。」とすると、正しい使い方になります。この場合、「参る」は、聞き手に対して、「行く」を丁重に述べていおり、行為の向かう先「父」を立てていないので、誤用にならないのです。

このように、謙譲語Ⅱは、行為の向かう先の相手を立てていなくても使うことができる点が謙譲語Ⅰとの違いです。

敬語にはさまざまな種類があるようですが、違いが分かりません。 (pp.85-106)

以下、敬語の分類についてまとめてみます。


尊敬語:話題の人について、話し手がその人への敬意を表す表現。
        例)いらっしゃる お~になる ~れる・られる 御~

謙譲語:話し手自身または身内を低め、相対的に話題の人を高める表現。
        例)いただく 拝見する お~する 愚~ 小生

丁寧語:話し手が聞き手への敬意的配慮を表す表現。
        例)~です ~ます ~ございます
 
丁重語:本来は謙譲語であったものが、謙譲の意味を持たずに文に丁重な響きを持たせるために使われる表現。
        例)こちら いかが ~と申します

美化語:話題の物事を上品に美化して言う表現。
        例)お~ ご~

これとは別に、素材敬語・他者敬語といった分類の仕方もあります。上に挙げた尊敬語、謙譲語は素材敬語に、丁寧語や丁重語、美化語は他者敬語になります。

しかし、聞き手そのものが敬語を使うべき相手の場合は素材敬語と同時に、他者敬語も使っていると考えられます。94ページにある例を見てみましょう。分かりやすくするため、敬語を「ご覧になる」に統一して考えてみます。

  A:(友人に)先生は明日映画をご覧になるそうだよ
  B:(先生に)映画をご覧になりますか

Aでは聞き手は友人ですので、先生に対する尊敬語として「ご覧になる」を使っていますが、語尾は「そうです」ではなく「そうだよ」となっており、丁寧語は使っていません。これに対し、Bでは尊敬語として「ご覧になる」を使い、さらに聞き手が先生ですので「ますか」という丁寧語も使っているわけです。

このように細かく分類すれば尊敬語(素材敬語)の部分は「ご覧になる」であり、その後の「ますか」は丁寧語(他者敬語)と考えられます。つまり、聞き手に対する直接の敬意を表している部分は「ます」という丁寧語の部分になるのです。

あいさつとして「どちらまで?」と聞くつもりで“Where are you going?”と英語話者に聞くと、どうしてプライバシーの侵害になるのでしょうか。 (p.121)

日本語で「お出掛けですか?」「どちらまで?」などというのは、主にあいさつとしての意味合いが強く、尋ねた話し手側も、聞き手が実際にどこへ行こうとしているのか、聞き出そうとしているわけではありません。これは、聞き手側が「ちょっとそこまで」などと決まった返答をすることからも、単なるあいさつとして受け止めていることが分かります。つまり、聞き手は「お出掛けですか?」「どちらまで?」を真剣な質問としてとらえず、結果として返答も「ちょっとそこまで」というきわめてあいまいなものになっているのです。日本語の場合は、そのような言葉のやりとりが、一種の相互関係の確認の行為のようになっており、実質的な内容のないあいまいな返答であっても、とにかく相手と言葉を交わすことを重んじて「ちょっとそこまで」と言っているのです。

どんな言語にも、あいさつが存在するように、こうした相互関係の確認の行為に当たる言葉のやりとりがありますが、どのような形で見られるかは言語によって異なります。テキストに挙げられているのは、英語には日本語の「お出かけですか?」「どちらまで?」に相当するあいさつ表現が存在しないという例であり、日本語の感覚で「Where are you going?」と訪ねてしまうと、それを英語話者は真剣な質問ととらえてしまい、「特別な理由もないのに、唐突に私的なことを聞いてきた」という不快感を招いてしまう可能性があると説明しているわけです。

よくある質問【テキスト17巻 日英の対照研究―付・日中、日韓の対照研究】

「うなぎ文」とは何ですか。 (p.135)

食堂で注文する時に言う「僕はウナギだ。」「私は、おすしです。」という文は、「僕は学生だ。」「私は吉田です。」という文と形は同じです。しかし、意味は異なっています。前者の文は「僕=うなぎ」ということではなく、「僕はうなぎを注文する/食べたい」といった意味です。このような意味で使われる場合の文を「うなぎ文」というのです。

よく「日本語は非論理的な言語だ」などと主張する人が、このうなぎ文を引き合いに出すことがありますが、実際には、中国語、韓国語、英語にも同じような表現が存在していることが報告されています。

詳しくはこちらもご参照ください。

<参考文献>
奥津敬一郎(1978)『「ボクハウナギダ」の文法-ダとノ』 くろしお出版

「Ru-verb」「U-verb」、「子音動詞」「母音動詞」、「強変化動詞」「弱変化動詞」とは何ですか。 (p.88)

Ru-verbとは、一段動詞またはIIグループの動詞を指し、U-verbは、五段動詞またはⅠグループの動詞を指しています。なぜかと言うと、Ru-verbは、「食べる taberu」「着る kiru」のように“ru”で終わり、U-verbは、「行く iku」「話す hanasu」のように“u”で終わるからです。テキストの説明にあるように、教科書によって動詞の分類の名前が違うことがあります。少し例を挙げてみます。

  五段動詞 - 子音動詞 - U-verb - 強変化動詞 - Ⅰグループ
  一段動詞 - 母音動詞 - Ru-verb - 弱変化動詞 - IIグループ

呼び方は違いますが、指しているものは同じです。「不規則動詞」に関しては「不規則動詞」や「Ⅲグループ」「irregular」と呼ばれているようです。

子音・母音動詞やU-verb・Ru-verbという呼び方は、それぞれの動詞の活用の仕方の特徴からきています。

強変化動詞というのは、語幹に一定の規則で母音を付けた形に変化するもので、弱変化動詞というのは、語幹に一定の語尾を付けた形に変化するという意味です。

授業に入る前に、授業で使うテキストではどのように呼ばれているのか、確認しておくことが大切です。

よくある質問【テキスト18巻 日英の対照研究―付・日中、日韓の対照研究】

「エピソード記憶」と「意味記憶」の違いを詳しく教えてください。 (p.45)

「エピソード記憶」は「出来事関連記憶」ともいわれ、個人的な経験やエピソード(挿話)によって構成されている記憶のことを指します。例えば、「金曜日の夜7時にあなたは何をしていましたか」と聞かれると、金曜日の午後5時から7時までに起こったすべてのことを思い起こして、(夜7時に)何をしていたかを思い出そうとするかもしれません。つまり、求められている情報を見付けるために、そこに至るまでの一連の事件、挿話を集めようとするのです。「解釈に至るまでの過程」というのは、こうした一連の事件、挿話を思い起こす過程を指し、この一連の事件、挿話の情報の総体すなわち、ある出来事に関連付けられた記憶の総体が「エピソード記憶」なのです。

一方、「意味記憶」というのは、語が意味に従って構成される記憶を指します。私たちは生まれてからさまざまな言葉を記憶しますが、ただむやみに記憶しているというわけではありません。例えば「スズメ」は「鳥」、「バラ」は「花」といった具合に、私たちは身の周りにあるさまざまな事物を、意味に基づいて整理、分類しています。これらの整理・分類された言葉の、総体が「意味記憶」とされるものです。事物が意味別に分類された辞書のようなものだと考えると分かりやすいでしょう。

よくある質問【テキスト19巻 聞き方の教育/読み方の教育】

「トップダウン処理」「ボトムアップ処理」とは何ですか。 (p.95)

ボトムアップ処理は書いてあるものを一つ一つ読み、分からないものは辞書で調べ、分からない文型も調べながら読み進めていく方法です。つまり、文章の底辺から理解しはじめ、最後に目的である全体を把握することを目指します。例えば英語の勉強を始めたばかりの人が英字新聞を読むときはどのように読むでしょうか。恐らく一つ一つ単語の意味を調べながら、構文の意味を確認しながら読んでいくでしょう。それは一つ一つの文の理解はできるかもしれませんが、文章全体の意味があまりよく分からない、ということがあるかもしれません。

しかし、例えば、私たちが日本語で書かれた新聞を読むときはどうでしょうか? 一つ一つの単語の意味を考えながら読む、ということはないでしょう。当然、語彙や文型の知識が豊富だからとも考えられますが、それだけではありません。一つ一つ読まなくても、だいたい次に来る内容が予測できたり、どこが重要な部分かを判断できるからです。分からない言葉があって、それを読みとばしても、文章全体の内容理解には差し障りがないことが多いでしょう。このように推測しながら読んでいく読み方をトップダウン処理といいます。既有知識というと、身に付けた語彙や文型も含まれますが、それに加え、その書かれた内容の社会や文化に関する知識のことも含まれるとお考えください

「逐語読み」と「精読」は同じですか。 (pp.102-103)

「逐語読み」と「精読」は同じものではありません。

まず、「逐語読み」ですが、これは一語一語意味を確認しながらたどって読むというやり方です。例えば、ぱっと見たところ、内容理解の手掛かりがほとんどつかめないような外国語の文を、辞書を引きながら、一語一語意味を調べ、文法構造を分析して、何とか読んだ、というような場合は「逐語読み」です。この読み方では、文章全体の意味の流れや、先を予測しながら読むというようなことには注意が向けられません。書かれたテキストの視覚的情報にもっぱら頼ってしまうので、このような読み方がくせにならないよう注意する必要があります。

一方、「精読」は、綿密に文の持つ情報の細部まで理解する読み方で、ゆっくりでも、正確に読むことを目的としている点で、読みの質が問題となります。実際の言語活動の中でも、契約書や法律の条件を読んだり、個人的な手紙や文学作品などを読む場合に、「精読」はしばしば行われます。

「きのう、私の友達が私のうちへ来ました」は間違いですか。 (談話の中の省略について) (p.44)

これは文法的に正しいかどうかという問題ではなく、実際にネイティブの日本人がこんな言い方をするかどうかという問題です。

「きのう、私の友達が私のうちへ来ました」という日本語を実際の会話で口にすることがあるでしょうか。 日曜日、高校時代の友人が訪ねてくれました。月曜日、「週末は?」と知人に聞かれたら、「私の友達が私のうちへ来ました」と言うでしょうか。 「友達がうちに来ました」「友達がうちに来てくれました」「友達がうちに来たんです」というのがふつうで、「私の友達」「私のうち」とは、わざわざ言わないでしょう。

もう一つの例文、「あなたの友達は日本人ですか」も見てみましょう。これは「あなたの」がひっかかるところです。「あなた」という呼び方は、いつ、どんな相手に使うでしょうか。テキスト14巻「日本語の語彙・意味」の41ページにも記述がある通り、英語のyouの訳語として、変に慣れてしまいましたが、「あなた」という呼び方は、 目上の人に使うと失礼ですし、友達にもあまり使わないと思います。では一般的に、聞き手を何と呼ぶかというと、名前や肩書きなどで呼ぶのです。例えば英語のyour friendを訳すなら、「先輩のお友達って」「社長のご友人は」「山田くんの友達が」「お母さんの友達」など、文脈によってさまざまに訳し分けなければなりません。

テキストで述べているのは、文型の練習としてなら良いが、実際のネイティブはどのように話しているのか、それを教え、練習していくのが話し方の教育だ、ということです。

よくある質問【テキスト20巻 話し方の教育/書き方の教育】

「アカルチュレーション」「リカルチュレーション」とは何ですか。 (p.17)

「アカルチュレーション(acculturation)」とは、「文化変容」ともいわれ、広い意味では、ある人が自分と異なる文化を持つ集団に接触した時、自分の文化(あるいは相手の文化)に変化を引き起こすことを指します。例えば、ある文化的規範を持つ集団の中へ、異なる文化を持つ人が移民などとして入っていき、そこで文化生活を営もうとした場合に、集団の文化に適応しようとして自分の文化的規範を変えたり、あるいは集団に変化をもたらしたりすることなどです。
一方、「リカルチュレーション(reculturation)」とは、アカルチュレーションの過程を経た後に、帰国などの理由で元の文化環境へ戻った時に、もともとあった自文化の特色を取り戻していこうとする過程を指します。

よくある質問【テキスト21巻 話し方の教育/書き方の教育】

「サブマージョン教育」をすることで「加算的バイリンガル」につながるのでしょうか。(p.13)

サブマージョン教育とは、例えば少数民族の子供達に対し、社会集団で用いられる主流言語のみで教育するタイプのプログラムを指します。もともとその子供達は、自分の家族が話している少数民族の言語をもっているわけですから、ご質問にあったように、形式としては加算的バイリンガル教育と言えるでしょう。
ただし、学校で圧倒的な量の第二言語に触れることにより、元々の言語を子供達が次第に失うことが多く、結果として「減算的バイリンガル」という状態になってしまうとの報告がしばしばなされています。そこで現在では、習得対象言語を1つにせず、2つにした「二重イマージョン・プログラム」も見られています。

「ロゴス」と「パトス」の意味を教えてください。(p.72)

まず、意味は、テキスト21巻72ページにあるように、ロゴスは「西洋の論理である言語に支えられた理性(reason)や原理に基づくもの」であり、パトスは「感情」となります。補足しますと、 後者は「情念」ともいえます。お手持ちの英語の辞典があれば、logos とpathosを引いてみてください。

テキストではメイナードを援用しているわけですが、73ページにまとめられた「ロゴスのレトリック」や「パトスのレトリック」の内容を読まれると、メイナードの意図した区別が分かります。

なお、ロゴスとパトスは一般的に西洋でよく使われる概念ですが、言語学の学問上では、言語学者のソシュールが用いた「ラングとパロール」の方が「抽象的言語体系」「具体的言語行為」として広く知られています。また、テキストでは言語学ではなく異文化コミュニケーションという学問領域で用いられる概念、エドワード・ホール(文化人類学者)の「低コンテキスト」をメイナードのロゴスのレトリック、そして「高コンテキスト」をパトスのレトリックと結び付けています。

よくある質問【テキスト22巻 日本語教育評価法】

「クローズ・テスト(cloze test)」とありますが、closeの間違いでしょうか? (p.45)

クローズ・テスト(またはクローズ法テスト)は、英語で “cloze procedure test”となります。clozeとは、空所補助法の、という意味です。

「妥当性」「真正性」の違いが分かりません。 (pp.65-66)

テストの「真正性」とは、テストの内容がどれだけ現実の生活での言語使用場面を反映し対応しているかという性質の程度を表しています。ですから、テストの点数が高い受験者ほど、実際の生活でも問題なく言語を使用しているのであれば、そのテストは「真正性が高い」といえますし、テストの点数が高い受験者であっても、実際の生活ではよく話せない、コミュニケーションができないということであれば、そのテストは「真正性が低い」といえます。

テストの妥当性とは、簡単に言えば、テストで測ろうとしている受験者の言語能力が正しく点数に反映するかどうか、ということです。例えば、文法力テスト(文法能力を測るテスト)であるのに、その選択肢に難しい漢字が含まれていてそれが読めないと解答できないようなテストの場合は、「妥当性が低い」ということになります。

よくある質問【別冊 対策問題集】

文法・文体 問題2【文の構造】 解答を読んでもよく分かりません。(p.48)

意味が分からなければ、解けない問題です。辞書で確認してみましょう。意味を簡単に示すと以下のようになります。

a. 山狩り・・・【山】で鳥獣を捕まえること / 【山】で犯人などを捜すこと
b. 魔女狩り・・・【魔女】を捕まえること
c. 紅葉狩り・・・【紅葉】を見に行くこと
d. 鹿狩り・・・【鹿】を捕まえること

このようにしてみると、b~cは、「狩り」の前の言葉(【】で囲った部分)がヲ格になっているのに対し、aの【】部分は狩りをする場所、デ格になっています。そのため、aだけが異なるのです。

文法・文体の問題8【使役】の問題文「「穴がふさがる」のような場合は使役形そのものが作れない。」という意味がよくわかりません。

まず、問題文にある「咲く」と「ふさがる」の違いについて説明します。
ここであげられている「咲く」は自動詞です。「咲く」には対応する他動詞がありません。本来なら自動詞は元の主語につく格助詞は「二」でも「ヲ」でもいいはずなのですが、「咲く」の場合は「二」ではなく「ヲ」が用いられます。

 山田さんが走る <使役形> 山田さんを走らせる  山田さんに走らせる
 花が咲く    <使役形> 花を咲かせる    ×花に咲かせる

 これに対し、「ふさがる」は自動詞ですが、これに対応する他動詞「ふさぐ」があります。「ふさぐ」の使役形が「ふさがせる」になりますが、「ふさがる」に使役形はありません。
 ここでは、使役の構文を作る際の格助詞のことと、使役形がある自動詞とない自動詞についての問題になっています。使役の構文に関しましては、テキスト10「日本語の文法-基礎」の第7章第6節もご参照ください。

文法・文体の問題9【連体修飾の形態】の「解答と解説」を読んでもよく分かりません。具体的にどの部分(どの単語)が該当するのか教えて下さい。(p.52)

それぞれの解説について、補足いたします。

(1)c 「本来は名詞修飾をしないとされる品詞」について

これは「せっかくの」を指しています。
「せっかく」は普通「せっかくあげたのに~」「せっかく買った本を~」など、連用修飾をする副詞です(副詞は基本的に連用修飾しかしません。例外もありますが)。それに「の」をつけて「せっかくの○○」と名詞を修飾させています。

(2)a 「名詞が連体修飾に使われるとき」について

解説にある「一見、名詞とは思えない語」というのは(2)「多くの人」の「多く」です。もともとはイ形容詞「多い」ですから、イ形容詞が名詞修飾をする際は「大きい人」のようになるはずですが、「多い」は「多い人」とはならず連用形「多く」からの派生名詞「多く」を用いて「多くの人」という「名詞+の」の形になります。

(3)d 「連体形の形が特殊」について
   ここでいう「連体形の形がその品詞としては特殊」というのは(3)の「同じ」です。「同じ」はナ形容詞として扱われますが、本来ならナ形容詞の連体形は「有名な人」「きれいな女性」というように「~な」の形になります。しかし、「同じな人」とはいいませんね。「同じ」についてはテキスト11巻39ページに詳しくありますので、ご覧ください。

(4)b  「連用修飾句」について
ここでいう連用修飾句は「1キロ」を指します。(1キロもらった、「もらった」を修飾しています。)日本語ではこのような数量の表現は連用修飾語として働きますが、多くの外国語では連体修飾語として働きます。

以下、例を挙げます。
   わたしは本を2冊もっている。→「2冊」は「もっている」を修飾(連用修飾)
   I have two books. →「two」は「books」を修飾(連体修飾)

文法・文体 問題4【アスペクト】「~中」について詳しく教えてください。(p.49)

接尾語である「中」はアスペクトを表します。また、「中」は漢語の動作名詞(動作を表す名詞)に付きます。ですから選択肢e「故障中」の「故障」は動作ではなく、状態ですから、正規の用例とはいえない、ということになります。

では、もう一つの選択肢c「考え中」ですが、これに関しても「考え」は漢語ではありませんから、正規の用例とはいえない、ということになります。そうしますと選択肢d「ロケ中」も漢語ではなく、ひっかかるのですが、これに関しては『日本語文法整理読本 解説と演習』(井口厚夫ら、1994)66ページに「中」についての記述があります。以下、引用します。

このごろテレビで「考え中」という言い方が流行っています。進行を表す「…中」は、本来は「会議中」のように漢語と結び付くのでおかしな形態なのですが、動詞の連用形が全て「中」と結び付けないわけではありません。「着替え中」「ペンキ塗り替え中」など、  「…をする」と言えるものなら可能のようです。「着替えをする」とは言えますが、「考えをする」とは言えませんね。

d「ロケ中」は「ロケをする」という言い方ができますから、ここでは正規の用例に含まれるようです。

<参考文献>
井口厚夫、井口裕子(1994)『日本語文法整理読本 解説と演習』 バベルプレス

評価法 問題2 クローズ法と単純再生法の違いについて教えてください。(p.73)

クローズ法とは、意味のある文章から一定間隔で単語を取り去り、その空所に設けた「(   )」に適当な単語を入れ、意味ある文章を再生させるという試験です。空所を作る方法が「何語ごと」(英語ですと7語ごと~10語ごと、という場合が多いようです)と決められていて、自動的にその単語が抜き取られて空所となります。英語の場合は、単語と単語の区別はスペースがあいてはっきりわかるので、数えやすく、ぶれが出ないので、よくクローズ法が使われます。

単純再生法は、完成法テストの一つです。完成法テストとは、文の中の空所に適当な語彙や表現をいれて、完全な意味のある文にする試験のことを言います。このとき、空所は、出題者が「意図的」に作ります。テスト(2)の場合は、助詞を意図的に空欄にした、問題です。完成法テストには、このテスト(2)(単純再生法)の他にも、多肢選択方式で出題する場合もあります。いづれにしても、クローズ法との違いは、空所を出題者が「意図的」に作る、という点です。

なお、クローズ法は日本語教育では余り用いられておりません。語彙の認定にさまざまな立場があり、7語を数えるのが難しいということもあるようですし、自動的に空所を作っても、「何を測定するのか」が曖昧になるということもあるようです。

女房詞とはなんのことですか。 (p.93)

女房詞は、「にょうぼうことば」と読みます。「室町初期ごろから、宮中奉仕の女官が主に衣食住に関する事物について用いた一種の隠語的な言葉。後に将軍家に仕える女性から、町家の女性にまで広がった」(広辞苑第四版より)言葉で、語の頭に「お」を付けて丁寧さを表したり、語の最後に「もじ(文字)」をつけて婉曲的に表現したりしました。例えば、浴衣を「ゆもじ」、寿司を「すもじ」水を「おひや」、味噌汁を「おつけ」、などがあります。また、「ひもじい」は、もともと「空腹だ」の意 味の「ひだるい」から最初の音をとって、「もじ」を付けた「ひもじ」(名詞)という言葉が使われていました。それが形容詞化したものが「ひもじい」です。

テキスト14巻135ページに、女房詞について説明がありますので、ご参照ください。

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